自閉スペクトラム症の娘の不登校、生き方を考えるブログ

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日記

学校へ行けなくなった時、先生の言葉にハッとした

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本年度はとても順調で、担任の先生にも恵まれ、3ヶ月間をかけてゆっくりと着実に、完全(※)に回復した娘だった。

※友達と登下校、授業は教室の自分の席、給食も自席。

が。
その「完全」登校は2週間も続かなかった。

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理由のない「行けない」

ある朝、突然行けなくなってしまった。
「疲れた、行けない」
と泣くばかり。

本人に理由を尋ねても「分からない、行けない」。

最近、担任と本人から聞いていた話しでは、

  • 最近は別室へは全く入らず、ずっと教室で授業を受けていた
  • 発表やグループ活動も積極的だった

欠席連絡を入れた際に先生が気にしていたのは、
前日に、トラブル(詳細)の相手と先生を交えて話し合いをしたが、それが欠席の一因ではないか?ということ。
話し合いの結果、子ども達は全員前向きな結論を出し、誰かが嫌な思いをするような内容ではなかったので学校へ行けないことへ繋がりにくいのですが…とのこと。

その話し合いのことは、前日中に「こういうことがあったよ」と本人が自分から教えてくれたし、特に落ち込んだりマイナス的な感情はなさそうだった。
もちろん私も「まさか…」と思ったので朝に尋ねたが、娘は「それは関係ない」としか言わない。
その旨、先生にも伝えた。

先生からは、

  • 給食の時間に耳を塞ぐ場面を何度か見た(聴覚過敏)

と言われ、ここのところ毎日頑張っていたので、疲れてしまったのでしょうか。という見解だった。

家では、
当日の朝ご飯中に、普段から小食の娘がここ連日朝ごはんの量が異様に少ないので、気になっていた主人が『今日こそは食べさせよう』と、かけた言葉で娘と口喧嘩になり、娘がかなり激しく泣いたので、それが欠席の一因なのか気がかりだった。

ここ数日間、毎朝「食べられない」「食べて」と言い合いになっていた。
その都度、涙を浮かべる娘だった。
結果論だけど、その辺りから気力が減り始めていたのかもしれない。

朝ごはんのことも尋ねたけれど、欠席とは「関係ない」と言う娘。
結局のところ、何が原因か分からない。

少し休んで気力を回復させようと試みたけれど、そのまま終業式まで一度も登校できなかった。

推測

そして夏休みに入り、何かの拍子に、娘が言った。
「あの話し合いのことがなかったら、ずっと行けてたかも…」

あの話し合い、というのはトラブルのことで、人間関係がこじれず以前のように学校へ行けないだけ(本人の問題だけ)なら、登校できていた、という意味。
まぁ、結果論だから、今何を言われてもどうしようもないし、それを鵜呑みにするのはよくない。

だいたい推測するに、
"本人が把握できていないキャパ"を超えて頑張っていたところに、人間関係で大きな山場があって(当事者と先生との話し合いという初めての環境)、張りつめていた糸がプツっと切れちゃった、という感じ?

私と主人は、「2学期もすんなり登校することは無理だろう」と腹をくくっている。

「3年生の1学期に自分の力で完全回復できた事実=自信」「クラスメイトと過ごせた楽しい記憶」が娘に残るなら、それだけで十分だ。
よく頑張ったよ。

登校拒否に対する先生の言葉

担任の先生からは、

行けなくなったことが【悪いこと】ではなくて、今回のことで「どれだけ頑張ったら疲れちゃうか」の基準が明らかになった【良いこと】だと、〇〇ちゃんに伝えてください。
これからは頑張りすぎる前に休憩(欠席や早退、別室へ避難)を上手に取り入れて、少しづつでも本人がコントロールできることを目指していけたらよいと思う。

と言われ…。

なんてポジティブ!!!
目からウロコだった。

学校へ行けなくなってしまって、親はマイナス感情しか持っていなかったのに。
先生の言葉で、見方が180度変わった。

今年は、理解のある素敵な先生に出会えて、本当に良かった。
娘がたった数ヶ月で完全回復出来たのも、この先生の指導がすごく温かくて娘を支えてくれたからなので…。

ちなみに去年は、「本人の気持ちを尊重」され、悪く言えば「放置」で、一歩踏み込んだ働きかけがなかった。
本人の問題だから、先生へ文句を言える立場にないことは重々承知の上。
公に口にしたことはないけれど、先生によって不登校児童への熱意や技量が全然違うのだと実感した。

恵まれている今年のうちに、娘の出来る範囲で小学生生活を過ごせたらいいなと思う。
その体験は、今後の娘の人生の手助けになるはず…。

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