最近読んだ本で、「これは!!!」と感銘を受けたフレーズがあります。
不登校の子が家にいると、イライラする時もあるじゃないですか。
わが子のすべてを受け入れるぞ!って決めて、普段は大丈夫でも、たまに『普通は学校へ行っている時間なのに…』と、一緒にいることに少し苦痛を感じたり。
たとえ家族でも、人間ですから、ありますよ。
いつも心平穏ではいられない。
『あー、自分、弱ってるな』
『(子どもに)不要なことを言ってしまった』
なんて、ネガティブになってしまった時に、読んでほしい本があります。
不登校新聞社のインタビュー集
創刊20周年を超えている「不登校新聞」という月2回発行の新聞があります。
(タブロイド版・ウェブ版)
その新聞から20本のインタビュー記事が抜粋され1冊にまとめられたのが、この本です。
女優から声優、漫画家、小説家、脳科学者などなど有名人へのインタビューになっています。
樹木希林さん、荒木飛呂彦さん、柴田元幸さん、リリー・フランキーさん、雨宮処凛さん、西原理恵子さん、田口トモロヲさん、横尾忠則さん、玄侑宗久さん、宮本亜門さん、山田玲司さん、高山みなみさん、辻村深月さん、羽生善治さん、押井守さん、萩尾望都さん、内田樹さん、安富歩さん、小熊英二さん、茂木健一郎さん
このインタビューの興味深いところは、インタビュアー自体が不登校当事者やその親で、読者がまるでわが身のように読める点です。
また、上記の方々の中にも不登校経験者がいて、その経験談を惜しげもなく披露してくれるので、かなり意外で驚きましたし、勇気づけられたりします。
有名人の不登校
例えば、俳優のリリーフランキ―さんは…
不登校もひきこもりも、好きなだけやればいいと思うのは、みんな自尊心も強いんだから、美意識を持ちながらやっていれば、自然と外に出ることも働くことも、なんでもなくなると思います。
それに、その時間が糧になるときが来ますから。
オレなんか、いま物を書いている内容はそのときに考えていたことばっかり。
だから、みんな留学してると思えばいいんじゃない。(p.54)
映画監督の押井学さんも、高校不登校の時期があり、部屋でSFを読んだり妄想をしていた。
あの時に得たものが人生の原資になっている、あの頃の妄想を映画にしている、と言っています。
演出家の宮本亜門さんも、年少の時から集団行動が苦手で10代でひきこもったと話されています。
その時に心の支えになったのが音楽と写真集だと言い、音楽で得た「喜びと興奮」を伝えたいという思いが演出家を目指す土台になった、と。
これは心強い言葉です。
親はこれでいいのかとモヤモヤしてしまう時期だったとしても、子どもは自分の感性を研ぎ澄ませて何かを蓄えている。
振り返るとその時期が人生のターニングポイントになっていたのだと。
うちの子は小1から不登校気味なので、この本に登場する10代以降の不登校経験者の方々とは性質が少し違うかもしれません。
それでも、不登校の時間は悪くない、人によっては建設的なものなのだと読んでいて勇気づけられました。
10代の子が読むと、本当に心に響くと思います。
またこの本には、家族、特に母親が読んですっきりする部分もあります。
不登校家庭の保護者が救われる言葉
女優の樹木希林さんのインタビューより
一緒に住んでいる人はホントに大変だと思いますが、結局、親はその子の苦しみに寄り添うしかないです。
言って治るようならとっくに治っています。最初の話に戻りますが(※)、自分が成熟するための存在なんだと受け取り方を変えるのがいいのではないでしょうか。(p.20)
※お釈迦さまとお釈迦さまの邪魔ばかりするダイバダッタとの関係性
樹木希林さんは、
人間は自分の不自由さに仕えて成熟していく。
「不自由さ」とは自分のことだけでなく、他人や時には我が子だったりする。
でもその不自由さを何とかしようとするのではなくて、不自由なまま、おもしろがってゆくのも大事だと思う、と答えています。
もっと肩の力を抜いて、なるようになるよ、と温かく包んでくれるような言葉です。
ご自分のエピソードもたくさん話されていて、面白いです。
漫画家の西原恵理子さんの話も面白い。
人間って、みんなバランスが悪くて、どっかしら病気なんです。
とくに母親の場合は、子どもに何かあったら、世界中から「母親が悪かった」と言われる。だから、「母親」という病気を持ってしまうんです。
いずれ子は、親を捨ててどっか行ってしまうんで、とにかく一人で悩まないでください。(p.76)
そうだ。
不登校やひきこもり中はどうしても母親とは密接な関係になってしまうけれど、ひとたび子どもたちの歯車が動き出せば、親の存在なんてどうだってよくなり、元気に家を飛び出してゆくだろう。
有限の関係に必要以上に悩んでも苦労が増えるだけだ。
横から「こうあるべき」ということを言ってくる人がいるでしょう。
そういう人と言い争っても不毛ですよ。「学校がなにより大事」と思っている人は、もうそういう文化を持っている人ですから。(p.75)
この部分は、不登校家庭の中で日々勃発する不毛な争いの突破口になるかと。
不登校初期は「学校へ行かせたい親」VS「行きたくない子」。
親が、子を見守ることに決めた後は、
「学校へ来させたい先生・行くべきだという世間」VS「ほっておいてほしい親子」の構図になるのではないでしょうか。
お互いの信条や立場が全く違うので、相手をねじ伏せることは容易ではありません。
話は平行線をたどるだけで、お互い疲弊してしまいます。
相手をどうこうするのではなく、相手を思いやってお互い理解し合える範囲で協力するという、ゆるい着地点にとどめる程度でよいと思う。
ちなみに、長女の学校の先生方はすごく理解があって、長女の無理にならない範囲で頑張っていきましょう、と声をかけてくださり、我が家に不必要な干渉はしません。
本人の気持ちが学校へ向かっている時には、適切な支援と刺激を与えてくれます。
本当に感謝しています。
私の一番のお気に入り
さて、今回、この本を読んで、一番はっとしたフレーズがあります。
それは、住職で作家の玄侑宗久さんのインタビューから。
不登校の息子がいる、自分を揺るがす存在が近くにいるということは鏡が近くになるようなものです。
自分を照らす鏡ゆえに、自分が苦しいときは、その存在が苦しさを増幅してしまいます。
「救いたい」という気持ちもよくわかりますが、共倒れになりかねません。
難しいですが基本的には「あなたが学校に行こうと行くまいと、私の人生に何の関係があるの」という、ほとんど太陽のようなあり方をしていたほうがいいと思いますね。(p.109)
このフレーズを読んで、すごく肩の荷が下りた。
太陽のように温かく、どっしりと不変に。一部しかご紹介できませんでしたが、他にも興味深いインタビュー満載です。
ぜに手に取って読んでいただきたいと思います。